銅駝会館の古時計

銅駝会館の古時計は98年前に寄贈されたもの

 令和3年の銅駝史料館学術研究調査グループによる調査の過程で、大正15年(1926年)の春に卒業生一同から親時計1台と子時計1台が、その翌年も子時計が10台寄贈されたという記録が、銅駝尋常小学校の「特別寄贈品目録」及び「特別寄附芳名録」に残っていることがわかりました。

 一方で現在銅駝会館に置かれているホールクロック型の古時計を調べてみると、大正から昭和にかけて製造されたものと判明したため、おそらくこの古時計が大正15年春に卒業生一同から寄贈された「親時計」でほぼ間違いないと考えられます。もしそうであれば今年(令和6年)の春に、この古時計の歴史は98年を迎え、2026年(令和8年)には100年を迎えることになります。

 この時計が銅駝校から銅駝会館に移された時期や経緯は今のところ不明ですが、おそらく96年前に銅駝尋常小学校に寄贈された親時計が当時の職員室又は玄関ホールに設置され、他の教室等に複数の子時計が設置されていたのではないかと思われます。そして銅駝中学校時代も引き継がれていたものが、銅駝美工高になった時期に親時計が銅駝会館へと移転され、子時計は廃棄されたのではないかと想像されます。

銅駝会館の古時計は『阿部式電気時計』

 銅駝会館の古時計の文字盤中心部のすぐ上には、PAT.No35413、中心部のすぐ下にはABEという文字が記されていることから、この時計が『阿部式電気時計』であることがわかりました。

 『阿部式電気時計』とは山形市七日町の阿部彦吉(1864~1931)が大正7年に発明し製造した時計で、内蔵された発電機構が1分毎に発生する電気信号で複数の子時計の分針を1分進めて親時計と一斉に同期させるという仕組みの機械式時計です。

 巻き上げた重錘(分銅)が重力で降下する力を回転力に変えたものを動力源とし、1秒ごとに1回振れる約1mの長い振り子に連結されたアンクルという部品が、ガンギ車の回転を正確なリズムで進ませながら重錘が下がる力を開放させ、ガンギ車の回転は時計の針を回転させる歯車に伝えられるという仕組みです。

 『阿部式電気時計』は大正後期から昭和初期にかけて相当数製造され、主に学校や公共施設などに納入されたと言われていますが、現存するものとしては10台程度しか確認できず、製造当時のまま現役で動いているものとなれば数えるほどしかありません。

 銅駝会館と同じような親時計は、横浜地方気象台、大阪農林会館、大江ビルヂング、山形市郷土館などで見ることが出来ます(他にも個人所有のものがあるようです)。また時計塔に収められた巨大な『阿部式電気時計』が山形県郷土館に現存しています。子時計については銅駝校では失われているようですが、大阪農林会館、丸の内ブリックスクエア、山形県郷土館などに残っています。

銅駝会館の古時計を修理しました(令和4年2月)

 令和3年の秋から時計が止まっていましたが、銅駝中学校の卒業生でもある時計技師の金子氏による修理を経て、令和4年2月13日から再び動き始めました。

 修理の際に時計本体を取り出して調べたところ、分銅吊下げワイヤーが本来巻き付いていたはずの筒軸には何も巻き付いておらず、秒針に近い位置にある1分に1回転する歯車に、100V交流電源で作動するシンクロナスモーターが取り付けられていました。

 昔の修理記録が残っておらず詳細は不明ですが、過去に重錘を吊り下げていたワイヤーが破断し、その修理の過程で、外したワイヤーを使って重錘を単なる飾りとして吊り下げ、新たなトルク動力源としてモーターが取付けられたものと思われます。

 その際にスイッチング歯車、偏心カラ、巻き上げ制御爪などが取り外されたようですが、それらの部品と思われるものが、重錘を巻き上げるための「ハンドル」と共に、時計盤の裏のスペース(本体が収納されている空間)に残されているのが見つかりました。

 また、扉を開けると現れる本体下部(3枚の穴が開いた仕切板で区切られた場所)の上段に置かれていたと考えられる、子時計を制御するための湿式電池も失われています。

 重い振り子の動きが止まらないようにトルクをかけるための動力源が、本来の重錘式からモーター駆動式に改造されてはいますが、それ以外は外観も内部構造も製造当時の面影を今に伝えている銅駝会館の古時計。銅駝会館をご利用の際にはぜひ古時計が刻む音に耳を傾けて、百年近く昔に寄贈された諸先輩をはじめ、現在に至るまで大切に手入れをされてきた多くの学区民の方々や、時代流れに思いを馳せながら、時の流れを感じてみられてはいかがでしょうか。

画像の自動送りはタッチすれば止まります。停止後の画像送りは手動(左右)で可能です。

銅駝史料館に残る古時計寄贈の記録

元龍池小学校に残る大時計について(参考)

 銅駝校以外の元番組小学校に同じような大型の古時計が現存しているか探してみたところ、龍池小学校の跡地にできた京都国際マンガミュージアム(烏丸御池上る)の元校長室に似たような時計が展示されています。

 展示パネルの説明によると1929年(昭和4年)現校舎の竣工時に、三代目半井萬助氏から寄贈されたもので、1995年廃校時から止まっていたものを2008年(平成20年)に修理したということですが、現在再び止まっています。

 なおこれも銅駝会館の古時計と同様に子時計を連動させる親時計で、京都市内の時計店で製作されたもののようです。銅駝会館のものとは違い、2つの分銅をチェーンで巻き上げる二錘式の時計です。

謝辞

阿部式電気時計に関する情報を「はてなブログ」で発信されているA2LAboratory氏から、貴重な助言をいただきました事を感謝申し上げます。