銅駝尋常小学校の校歌と児童歌

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銅駝尋常小学校の校歌

昭和9年(1934年)『銅駝尋常小學校沿革史』より

昭和16年3月発行「銅駝尋常小学校」卒業写真帖より

銅駝尋常小学校校歌を文字起こししたもの

銅駝小学校校歌(MP3)+合成音声版

銅駝小学校校歌(ボーカル付) (64Kbps圧縮).mp3

【高音質】銅駝小学校校歌(MP3)+合成音声版

銅駝小学校校歌(ボーカル付) (256Kbps).mp3

 銅駝小学校校歌(MP3)+合成音声版【Dropbox版】

銅駝尋常小学校の児童歌

大正3年(1914年)『銅駝学報』第4号より

大正3年(1914年)『銅駝学報』第4号に掲載されている「児童歌」の部分を文字起こししたもの

昭和9年(1934年)『銅駝尋常小學校沿革史』より

昭和9年(1934年)『銅駝尋常小學校沿革史』に掲載されている児童歌を文字起こししたもの

銅駝小学校児童歌(MP3)+合成音声版

銅駝尋常小學校児童歌(伴奏・音声付1~6番).mp3

 銅駝小学校児童歌(MP3)+合成音声版【Dropbox版】

註釈

昭和9年(1934年)『銅駝尋常小學校沿革史』に掲載されている「銅駝小学校々歌」と「児童歌」の楽譜及び歌詞を採譜し、DTMで再現・編曲した後にMP3形式にしたものをMP3プレイヤーの形で掲載した。
ただしGoogleDriveに保存したMP3ファイルは一部のiPhoneやiPadでは再生できない場合があり、その場合には【Dropbox版】の方を試すと再生できる場合がある。(古いiPhoneでは再生できず)

文字起こしに際しては、一部の歌詞を現代かなづかいに修正している。

校歌の方は昭和9年(1934年)の「銅駝尋常小学校沿革史」のほか、昭和16(1941年)年3月発行の「銅駝尋常小学校」卒業写真帖にも同じものが掲載されており、また作曲者の近藤氏が昭和3年から17年にかけて銅駝校以外の京都市内の尋常小学校の校歌を手掛けていることが分かっているので、おそらく昭和初期に作られたものと推定されるが、成立の時期や経緯に直接結びつく資料が今後見つかる可能性もある。

また児童歌は昭和9年(1934年)の「銅駝尋常小学校沿革史」のほか大正3年(1914年)『銅駝学報』第4号に載っており大正3年(1914年)頃に作られたと思われるが、昭和9年(1934年)の「銅駝尋常小学校沿革史」211頁には "児童歌の出来たのもこの頃であった。現在北国新聞の主筆鴨居悠氏が銅駝校在職の記念作である" との記述があることから、作者が鴨居悠氏である可能性が高く、更に調べれば成立の時期や過程が正確に特定できる可能性が高い。

なお児童歌の2番の歌詞の一部について大正3年の資料で "四十余年に二千余りの" となっている箇所だけが、20年後の昭和9年の資料では "五十余年に三千余りの" と変化しており、上京第三十一番組小学校が開校した明治2年(1869年)からの経過年数と在籍生徒数の現状になるべく合わせるよう、柔軟に歌詞が改変されたことを物語っている。

校歌の作詞者である上野斗南、および作曲者の近藤義次両氏のほか、児童歌の作者の可能性が高い鴨居悠氏については、いずれも日本音楽著作権協会(JASRACK)の管理下にはないが、本人または相続人に著作権が存在する可能性があるため、今のところこのページについては非公開扱いとする。

ちなみに平成28年(2016年)に井川富夫(銅駝史料館前館長)氏が編集された『銅駝小校譜』の26~27頁に「思い出の校歌のご紹介」という一文があり、校歌と児童歌の歌詞の一部も掲載されている。

また「児童歌」については井川前館長がまとめられた銅駝史料館の資料目録の中に「銅駝小学校 児童歌 レコード・テープ(CD転換)」という記録があるので、機会があれば聴いてみたい。

(2023年7月1日 細川)

参考文献

 『銅駝学報』第4号 大正3年(1914年)11月25日発行
 『銅駝尋常小学校沿革史』 昭和9年(1934年)
 『銅駝小校譜』 平成28年(2016年)2月 井川富夫 編
 『校歌の誕生』 令和2年(2020年)3月25日発行、須田珠生 著、人文書院

助言

 銅駝史料館学術研究調査グループ(須永哲思、白木正俊)